小島陣屋跡を利用する形で明治7年(1874)に設けられた小島小学校の前身となる学び舎です。

包は「つつみこむ」「はぐくむ」蒙は「こども」という意味で、包蒙舎とは、かけがえのない小さな命である子どもたちを大切に守り育む場所であったことがうかがえます。

その後、小島小学校移転に伴い書院は国道52号沿いに移転され、小島公会堂として使用されます。地区内の住民に会合・寄り合いの場としてはもとより結婚式や出征の式典会場としても使用され、今でいう生涯学習交流館以上に地域の中心の役割を担っていました。

小島藩の歴史もいつしか忘れられ、農地となっていた陣屋跡地の価値を訴え保全活動にいそしんだ渡邊唯義様を中心とする小島町文化財を守る会のみなさんのご尽力により平成13年(2001)国の史跡に登録され、令和6年(2024)旧書院は元の陣屋跡地に再建されています。

ほうもう舎 小島小学校所蔵
包蒙舎 小島小学校所蔵
移築前の包蒙舎。対象児童生徒の年代拡大により、増築増築で手狭になっていることが窺えます。
提供:遠藤宗利様。書院前での貴重な写真です。
提供:遠藤宗利様。
提供:氣田頼子様。武道大会優勝記念写真。
提供:氣田頼子様 書院移築後の小島公会堂と消防小屋。消防団員もこれだけいました。
提供:望月武雄様
老人憩いの家・なかよし文庫の看板も掲げられた小島公会堂は、地域の寄り合い場所・学びの場所はもとより冠婚葬祭の共有の場としても使われ、大切な拠点でした。