『緑の山を黄金に染めて輝く蜜柑よ駿河の誇り』と小島小学校の校歌にも謳われたように、かつて蜜柑やお茶の栽培は当地の一大産業でした。東北などから「移動班」として働きに来られ、そのままこの地域に住むことになった方も少なくありません。大変な力仕事でしたが、大らかな時代でした。

以下提供:望月武雄様 すごい量の蜜柑です。
働き手は男女問わず、総出でした。
選別も大切な作業。
根気と忍耐力、そして体力。
「力」の時代でした。
提供:稲葉妙子様。みんなで一休み。
提供:稲葉妙子様。とにかくよく働きました。
提供:望月武雄様。こちらは珍しい田植えの風景。写真ではこれだけでした。全て手作業です。
時代は下って、「架線」で荷下ろしがされるようになり、ずいぶん省力化されました。 提供:平岡文吾様